ポーランドからの手紙 › ポーランドの歴史

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2011年05月26日

教育制度

こんにちは!ポーランドではもうすぐ小中学生や大学生など夏休みを始まります。大学生は‘サマーアルバイト‘ を初めて、小中学生と高校生がゆっくり休みます。
ポーランドの教育制度と日本のものと少し違います。

ポーランドで6歳から18歳まで教育義務があります。

幼稚園は3歳から6歳までです。全部の子どもが幼稚園に行きません。よく祖父母やベビーシッターなどが子どもの世話します。子どもが6歳になるとが特別な幼稚園行かなければいけない。それを小学校のための準備と言っています。子どもが遊びで文字やナンバーを勉強しています。

子どもが7歳になると小学校に入学します。小学校は6年間で小学生がテストを受けて、中学校に入学します。中学校が3年間で中学生も試験を受けます。試験の高い点数でいい高校に入学できます。

高校の3年間時に高校の卒業テストのために皆勉強しています。 このテストは一番大切です。理由は、この試験の点でどの大学に入学でるかが決まるのです。だから、皆が一番よい大学に合格したいので、たくさん勉強しています。試験が(小中学校も高校も)全国同じです。
昔の大学への入学システムは日本と同じで, 入学前に皆選んだ大学で入学試験を受けました。

今は、大学ではbachelor`s degreeは3年間、後に 修士に2年間通うのです。だから、例えば、bachelor`s degreeをとって、修士が他の大学で取れます。でも、昔は修士を含めて5年間です。つまり、5年間同じ大学で勉強します。私もあの古いシステムで入学しました。でも、私より一年下の人がもう新しいシステムに入りました。

それで、小中学生と高校生の夏休みは6月の終わりから8月の終わりまでです。9月1日に学校が始まります。大学生は1月と6月に試験を受けて、夏休みみ6月の終わりから9月の終わりまでです。10月1日に大学生の授業が始まります。

ポーランドのシステムが悪いだと思います。今、議会と政府は教育制度の法律を作っています。政治家が全部の子どもを知らないから、何で子どもの将来を決められるのでしょうか? 政治家が全部の子どもが同じだと思っています。全部の子どもが同じ年に学校に入ります。でも、子どもはそれぞれ違います-全部の子どもが同じ年に学校に入学しないほうがいい。現在、両親が子どもの将来に関して少しだけ決めています。政治家が学校の形、教科書、入学の年を決めています。それは一番悪いことだと思います。両親は政治家より自分の子どもの性格と才能をよく分かる。だから、教育のための税金を取り除いたほうがいい、両親はそのお金で選んだ学校に払ったほうがいいだと思います。結果、は一番いい学校や先生など残っていって子どもがもっと賢くになります。残念ながら、現代のヨーロッパ人がそんな福祉国家論に慣れていて,それが社会に悪いシステムとは悟らないのです。。
  

Posted by asia at 13:17Comments(0)ポーランドの歴史

2011年04月18日

ポーランド史-手短に!

ポーランドのことについてどのぐらい分かりますか?ヨーロッパのどちらですか?気候は何ですか?有名な人がいますか? どこを観光できますか」と言う質問しますか?
このブログで皆様が答えを見つけて欲しいと思います。

先ず、ポーランド史や基本情報などについて概要しましょう!

ポーランドはヨーロッパの中にあります。北にバルト海が広がって、東にロシアのカリーニングラード州とリトアニアとベラルーシとウクライナがあります。南にきれいなタトラ山脈が通なっていって、スロバキアとチェコと国境があります。ポーランドの西のとなり国はドイツです。



首都は: ワルシャワ市
公用語:ポーランド語
面積:322 575km2
人口:38 186 860
通貨:ズウォテイ (zloty, PLN)
宗教:カトリック教










http://www2m.biglobe.ne.jp/%257eZenTech/world/map/q082_map_poland.htm


ポーランド史

966年 - 記録に残るポーランドの初めての支配者-ミエシュコ一世がカトリック教を受け入れて、今日まで約90%ポーランド人がカトリックです。

1138年から1320年まで-ポーランドの領土が分割されています。

1320年 - ヴワディスワフ1世が統一して、そのあと彼の息子さんがカジミェシュ3世「大王」が1333年―1370年以内にポーランドでいろいろな改定して-そのときがポーランドの黄金時代と言っています。

1385年から「ポーランドリトアニアの合同」が形成された。あのとき、ヨーロッパで宗教の戦争が起こったのに、ポーランドが寛大な国でした。その上、ポーランドはヨーロッパの一番大きい国でした。文化や経済など発達されていました。

しかし、17世紀から対外戦争で1772年にも、1793年にも、1795年にもポーランドの領土が分割された。プロイセンとロシア帝国とハプスブルク帝国がこの分割しました。ポーランド人がそのときから独立のためにずっと戦った。

その分割の間に、1791年に5月3日憲法が採択された。ヨーロッパの最初の採択で世界の2番目のものです。今、毎年5月3日は祝日です。

第一次世界大戦が終わって1918年11月11日にポーランドが独立になりました。

ポーランドの発達が第二次大戦で止まった。あのひどくて難しいときにポーランド人がずっと壮烈に戦った。

1945年5月8日から1989年9月7日までポーランド人民共和国でした。でも、あの国がソビエトが支配してポーランド人が反抗しました。

1989年からポーランドが独立国になりました。

残念、2004年からポーランドが欧州連合 に入った。

あのポーランド史についての記事があまり詳しくないですが、ここから多分だれかもっと知らべたくて歴史本を読みます。

ポーランの史と日本史がとても違います。ポーランドでたくさん対外戦争が起こって、カトリック教の影響も大きいです。だから、文化や考え方が違います。

来週、写真のプレゼンテーションをアップロードします!チョキ

アシャ
jambrozik@gmail.com


  

Posted by asia at 10:41Comments(1)ポーランドの歴史